「ヒトと腸内細菌の契約からはじまる超個体の人生」大阪大学 中村特任准教授に聞く、メタゲノム研究が次の医療をつくる可能性

ヒトの健康に大きな影響を及ぼすとされる、腸内フローラ(腸内細菌叢)。いま、腸内フローラに関する研究が相次いでいる。腸内フローラの可能性を、大阪大学 微生物病研究所 附属遺伝情報実験センター 感染症メタゲノム研究分野 特任准教授の中村昇太氏に聞いた。

ヒトの健康に大きな影響を及ぼすとされる、腸内フローラ(腸内細菌叢)。いま、腸内フローラに関する研究が相次いでいる。腸内フローラの可能性を、大阪大学 微生物病研究所 附属遺伝情報実験センター 感染症メタゲノム研究分野 特任准教授の中村昇太氏に聞いた。

ヒトの腸内フローラは、約500種類、500~1000兆個ともいわれる多種多様な腸内細菌によって構成される。ヒトはある意味「微生物集団が住む環境(超個体)」とも言えよう。

腸内細菌の構成は、文化的背景による生活習慣の違いや保有疾患、栄養状態などにより、個人差が大きいとわかっている。さらに、これらの種類と数が人間の健康や免疫と深く関わっていることが明らかになりつつある。関連しているとされる疾患は、アレルギー、肥満などの生活習慣病、がん、老化、さらにうつなどの精神疾患にまで多岐に及ぶ。

腸内フローラの可能性が大いにひらけたのは、次世代シーケンサーに代表される、ゲノム解析技術の革新である。ゲノム解析といえば、最初にヒトゲノム計画を思い出されるかもしれない。ヒトの遺伝情報を全て解読する同計画は、2003年4月に完了した。当時、13年の歳月と3000億円ものコストをかけた大型な国際プロジェクトだった。一方、次世代シーケンサーは、ヒトの遺伝子情報をわずか数日のうちに数十万円で解読できてしまうレベルになっている。これまでの解析技術とは比べ物にならない、速度と精度で遺伝子解析を実現できる。

このゲノム解析技術が、腸内細菌の研究を大きく変えた。1つの生物のゲノムを解析するのではなく、腸内細菌叢のような集団のゲノムを網羅的に解析し、どのような変化が、どのように病気と関係しているのか。その全体像を解明してくれたのがメタゲノム解析である。

[大阪大学 微生物病研究所 附属遺伝情報実験センター内様子]

ヒトは生まれてくる時にはほぼ無菌状態で生まれてくる。生まれた瞬間から腸内細菌との関係がはじまる。例えば、帝王切開で生まれた新生児は、自然分娩で生まれた新生児に比べて腸内細菌の多様性が低下しているという研究がある。しかし、ヒトの遺伝子と異なり、腸内フローラが母親や父親に似ることはない。生まれてから外界に接触しつつ、環境や離乳食から様々な細菌を取り込み、超個体としての環境が安定していく。この過程はおよそ3歳までには完了し、ヒトは個々に確立した腸内フローラと一生付き合うことになる。

**腸内環境は個人と細菌たちとの契約。この契約が決まって確立されるとほぼ一生変わらない。たとえ下痢になって一時的に乱れても、回復すると元の腸内フローラに戻る。安定している腸内フローラがヒトの健康に重要であると考える。腸内環境を左右するもののひとつが食事。ヒトは個体として生存していくためだけでなく、腸内細菌を生息させるために超個体として食事をとっているともいえる。**(中村氏)

腸内細菌を含む、ヒトの体表や体内全ての微生物の集合体はヒトマイクロバイオームとよばれる。これら微生物集団の遺伝情報は、私たちと密接に共生関係があることから、ヒトゲノムに次ぐ、第二のゲノムともいわれる。

近年、ゲノム解析技術の進歩によって、マイクロバイオームは、医学に大きな影響を与え、それに関連する医療、創薬分野などでは巨大なビジネスチャンスが新たな市場として生み出されつつある。

**”ヒトの健康”は”超個体の健康”ともいえるが、腸内フローラの変化が病気やその重症度を知らせるひとつの指標になるかもしれない。実際、我々は大阪大学医学部附属病院・高度救命救急センターと共同で研究を進めてきたが、救命救急に運びこまれる外傷性ショックの患者では、腸内フローラが大きく乱れることが明らかになった。腹部ではなく頭部への外傷のような例にも、この乱れは見られる。また、その乱れ方が回復傾向に関連している可能性も明らかになりつつある。住環境であるヒトのリスクは、住人の腸内細菌の方がよく理解しているのかもしれない。さらに最近では、死後の検体を用いて”ヒトの死”から”超個体の生”を解き明かす研究も進んでいる。腸内フローラがヒトの個体の中で安定するには、ヒト側からの継続的なサポートが必要なはずである。瀕死状態時や、死後の一方的なヒトからのサポート契約の解除で、体内の細菌たちがどうなるのか。技術が日進月歩で進化していく中、”超個体の人生”の謎が明かされようとしている。**(中村氏)